時をつかんだ人

      2016/05/08


万事において時があります。これをとらえないといけません。ご飯を食べる時、お風呂に入る時、電車やバスで座る時、降りる時、また話す時があり、時に出来ないとすることを逃してしまいます。

桜が咲くのも時があります。

 

201503290605

 

愛する時があるし、健康管理をする時に管理をできないと命を失ってしまいます。農業する時があり、勉強する時があります。

またイエス様を知っていても神様の時を正確に知っていてこそイエス様と会えるのです。人間は時を知らないのです。

簡単に言うと時とはチャンスの時であり得られる時です。

 

時をつかんだ人で思い浮かぶのは誰ですか?わたしは織田信長です。

 

信長織田

 

信長は若い頃はうつけ(馬鹿者の意)と呼ばれていました。

信長を歴史の表舞台に登場させたのは桶狭間の戦いです。

戦った相手は今川義元。当時周辺の誰からも、上洛を果たすだろうと思われていた三河の大大名です。

約2万5千人と圧倒的な大軍を引き連れた今川義元に対し、その約10分の1程ともいわれる寡兵(かへい)で立ち向かった織田信長が、今川義元を討ち取り見ごと勝利したという日本の歴史上最も有名な戦いが「桶狭間の戦い」です。

 

信長はただやみくもに今川義元を攻めるのではなく、義元が駿河を出発したとき、梁田政綱という家来に絶えずその動きを報告させていました。そして「義元は大高城へ急がず南へ向きを変えて、輿を止めようとしている」という報告を受けたことで、出陣の合図を出したのです。

この時信長は「運は天にあり、敵が懸からば引け、退けば押せ、個々の巧名争いを避け、常に組織的に行動せよ」と訓示を行い、先遣隊が必死の戦いを挑んで、敵の目を引き付けている間に、兵2千を率いて疾風の如く駆け抜けて桶狭間の北の山麓に駒を進めました。
その頃、一天伐かに掻き曇り雷を伴った大風雨の中、山を越え狭間を抜けて、今川軍の本陣に迫りました。

こうして信長は、義元の2万5千の大軍にわずか2千で勝利したのですが、義元の首を取った毛利新助より梁田政綱に厚く報いました。

(「夢への道筋はある」http://fanblogs.jp/studioworks/archive/150/0

「桶狭間の戦いについて」http://okehazama.net/modules/battle/battle_of_OKEHAZAMA.htmlより)

 

雨の音は信長軍の数を実際の数より大きく聞こえさせ、義元軍は恐怖を感じたことでしょう。

信長は情報の価値を知っていました。地の利に詳しい間者を使い常に最新の情報をつかんでいました。

 

わたしたちは常に時を考えなくてはいけません。

今がどういう時なのか目をさまし、時代の盲人にならないことを願います。

 

sakura

 

成功する上で「時」を知らずに成功する人はいない。

肉的成功も、霊的成功も「時」に合わせて行なってこそ成す。

鄭明析牧師の明け方の御言葉より@ Mannam & Daehwa

この記事を書いた人

アジュア
瑠璃色の蒼空が大好きな保育士です。
8年目の今年は初担任になります。
瑠璃色の蒼空に主の帆が立ち並ぶことを願って・・・。

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